芦沢央 「カインは言わなかった」
お久しぶりです。色々ありまして読むのに一か月かかってしまいました
あるダンス公演で主演を務める予定の男性が公演直前に失踪してしまう。彼は失踪前に恋人に主役を出来なくなったと伝えていたが、団体側は主役交代はないと主張している。その公演の監督は表現力の極限を作り出すために非常識とも言える壮絶なしごきを幾度も繰り返してきたことで有名であり、恋人は彼の身を案じて画家をしている彼の弟と接触を図ろうとする、というお話。
この作品のテーマは「選ばれたいという欲望」となります。
「才能や努力を認めて選んで欲しい」「パートナーに選ばれたい」など日常でもよくある欲求について芸術を舞台にして書いています。
心理描写の描き方が非常に上手く、こういう風に考えて行動するところを誰しも一度はあり共感できるのではないかと思います。
作中に劇や絵画など芸術面での描写が多く出てきますが、残念ながら私は芸術面に疎いので良く分かりませんでした。これについては詳しい方の意見を聞いてみたいところです。
作中にて「実行に移せる殺意とそうでないものの違いは何か」という問いかけがありました。
殺人を実行できるかどうかはいかにリアルで緻密な殺人のシミュレーションを何度も行うかで決まります。頭の中で相手をいつ、どこで、何を使って、どうやって殺すかを現実と間違えるくらいイメージを繰り返しておけば、あとは理性が外れるトリガーが来たら(カッとなる、とか)そのイメージ通りに体が動いてくれます。
一般的に、イメージも実際にやってみたこともない動作は理性が外れただけではできません。ニュースで「カッとなって殺した」という供述が出てきて殺意がないかのように扱われることがありますが、上記のことからそれはあり得ないと分かります。殺人はそんなに簡単ではない。何年も怨嗟を肉体と精神に刷り込み続けてようやく出来ることです。
上の方で「選ばれたいという欲望」について書いていますが、私自身はよくわかっていません。
これはいわゆる承認欲求に分類されるもので私にも勿論ありますが、他の欲求と比べると優先順位が低くなっている自覚があります。なぜかと考えてみるとアクションしてから承認欲求が得られるまでの道が長い上に得られるかが他人頼みなのが面倒だからです。
承認欲求を得る流れとはアクションする→相手が見る→相手がリアクションする→自分の欲しいリアクションが見られた、となります。どう見ても自分が納得するか考える→満足のいくアクションをする方が圧倒的に満たされるのが早い。
一度経験して味を占めれば承認欲求の優先順位が上がるかもしれませんが、この先の人生でその逆転が起きえる出来事はおそらくないだろうと思います。
承認欲求については近年問題視されて話題性もあるので、読むとためになることも多いと思います。