薬丸岳 「最後の祈り」
薬丸さんの新刊が出ていたので買ってみました。
主人公の男性は牧師をする傍らで受刑者の教誨師のボランティアをしていた。あるとき結婚を間近に控えた娘が殺害されてしまい、犯人である男性は娘を含め4人殺害していたため死刑判決が下る。しかし彼には罪悪感がなく、早く死刑にしろと嘯いていた。何とかして彼が死刑になる前に地獄に落としたいと考えたところ、娘を育てた女性から彼が収容されている施設の教誨師となることを提案される。彼を教誨して罪を認識し、死を恐れるように救済してから死刑にすることで娘の復讐を果たそうとする、というお話。
被害者遺族と死刑囚をテーマにした作品となります。
被害者遺族は加害者と接することが出来ない点を問題視した作品は色々ありますが、こういった設定であれば接点が出来て対話が可能になり、実際どうなるかを描いているのがとても面白い。あらすじの時点でも分かるように本作はダークな雰囲気で物語が進んでいきます。まったく反省しようとしない犯人と対面する主人公の心理描写はとてもリアルに描かれていたため読むのもなかなかつらいものがありました。とはいえ反省していない加害者と対面したら現実にはこうなるだろうという描写だったのでむしろ良い気がしました。
結末に関しては薬丸さんなりにちょっとでも希望があるようにと配慮されているので、少々ご都合的な部分もあります。ですが私はこういった終わり方も良いと思いました。
上記以外にも受刑者の教誨がどのように行われ、受刑者に必要である理由についても書かれており読んでいてためになりました。
作中にて神の赦しにすがりたくなるのは、自分の人生で犯した一番重い過ちを許せなくなったときだと他の牧師が語るシーンがありました。神に赦しを乞う行為を私はまったく理解できなかったのですが、この考え方には納得できました。
私が自分を赦せなくなったら迷わず自害を選ぶのですが、色々な事情があって自害を選べない人たちもいるでしょう。そういった人たちが罪悪感に耐えられない時に必要なのが神の赦しということです。別の作品で人間が一番耐えられない感情は罪悪感であると説明されていたので、罪悪感の克服は古くから人間の課題であり、方法の一つとして宗教があるのでしょう。作中の話ですと受刑者たちは世間から死んでほしいと認識されているために、もう人間には赦される可能性がないからこそ神の赦しによって精神安定をはかるのだそうです。死刑囚の精神安定する意味があるのか?とも思ったのですが、作中の描写によると精神的に不安定な死刑囚は死刑の執行が遅れる傾向にあり、つまりは早く死刑にするためにやっているとのこと。こういった説明をされると、神の赦しは思いのほか合理的な使われ方をしているのだと認識があらたまりました。
これまでの薬丸さんの作品を読んだことのある方ならきっと楽しめると思うので、ぜひ読んでみてください。