花の本棚

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橘蓮二 落語の凄さ

橘蓮二 「落語の凄さ」
今回は貰い物の中で気になった本があったので読んでみました。

 



 
今人気の落語家5人にインタビュー形式で話を聞いている新書となります。それぞれの師匠たちがどういったことを考えて芸を磨いているか、テレビの笑いと落語の笑いはどう違うのか、など読んでいて面白い考え方が多くありました。最近では落語を見に来るお客さんのうち若い人や女性の割合が増えてきたことで古典落語だけにとらわれない柔軟な芸風も必要になっているそうです。正直なところ私はテレビに出ている芸人はつまらなくて嫌いなのですが、本書の記載をもとに考えるとそれは芸人というよりもテレビ向けの笑いが私に合わないだけのようです。もしかしたら落語の芸人だったら面白いと感じるかも、という考えに至ったので落語見に行ってみようかなと思い始めました。
 
作中のインタビューにて言葉選びの重要性について語っている師匠の話がありました。師匠曰く同じものを指していても言葉が違うだけで思い描くものが変化して反応が変わるそうです。
この考え方は現代にも通ずるところがあって重要な部分だと思います。前提として言葉選びは自分の言いたいことをそのままよりも何か上乗せしたいときに使用します。思ったことそのままの言葉で期待した効果があるならわざわざ変える必要がないのでこれは正しいでしょう。近頃失言をして炎上する騒ぎがちょくちょく起きていますが、あれは使う言葉の選択を間違えた結果でしょう。落語家の人たちが状況を見た言葉選びについて日々磨いているプロだとしたら、いつ自分の発言が切り取られて拡散されるかわからない現代では落語から学ぶのがよかったりするかもしれませんね。そう考えると本書でも言われていた若い客層が増えたというのも時代背景的には理にかなっているような気がしてきました。
 
芸人の話が出てきたので誰からも賛同を得られたことのない私の持論を一つ紹介したいと思います。
私は会話の切り出しに「何か面白い話して」と言う人を嫌悪していて、それはなぜかという話です。上に書いたように私はテレビに登場しているお笑い芸人は9割方は話がつまらないと認識しています。ですがお笑い芸人は笑いを生業とするプロの位置づけであり、特にテレビに出てくるような人たちはその中でも選ばれた一流のお笑い芸人であるのは事実です。つまり笑いのプロですら9割の人は面白い話が出来ないと言えます。となると一般人に面白い話を要求するのは専門のプロですら出来ない理不尽極まりない要求であり、そこで面白い話が聞けなくて不機嫌になるのは極悪非道な所業であるという結論になります。
という納得してくれた方はまだ一人もいない私の持論でした。
 
これを読んで落語に興味が湧いてきたので調べてみようかと思います。