花の本棚

読んだ本の感想や考えたことを書いています

真梨幸子 私が失敗した理由は

真梨幸子 「私が失敗した理由は」
知り合いから面白いと教えてもらった作品。
 

f:id:flower_bookmark:20200905185220j:plain


主人公の女性は自分の人生がかつての輝きを無くしていることに不満を持っていた。パート先の同僚から殺人事件の容疑で逮捕された人の話を聞き、他人の失敗に対して「ときめき」を感じるようになっていた。居ても立ってもいられずかつても恋人を頼り、人々の失敗を集めることで成功への道を示す本を出そうと取材を始める、というお話。
 
失敗による人生の転落をテーマにした作品です。
それぞれの人物の失敗談が短編集のように書かれていて、最終的にはそれらのながりを探るという流れになっています。
ミステリーとしても良く出来ていますが、見所は人物の心理描写がリアルなところです。そっちに踏み込んだらダメだと経験則で分かっていても見栄や欲望に負けて失敗してしまう、という描写は実在のモデルがいるのかな?と思うほどでした。
ただ、主人公の女性が「ときめき」を原動力に周囲を振り回す姿は読んでいてゲンナリしました、この部分は好みが分かれると思います。手が止まってしまうほどではないですが私は読むのに結構なエネルギーが必要でした。以前「ときめき」を基準に物を捨てる断捨離が流行ったときを思い出しました。断捨離のような一人でやることなら構いませんが、人を巻き込んでくるときに「ときめき」が原動力だとこうも迷惑なのだなと考えてしまいました。
 
作中にて「幸せになるためには地獄への道を知ること」という意味の言葉が出てきます。「幸せになるためには失敗しないことが肝心」という意味で使われていました。
失敗は致命的なものでなければいくらでもしていいと私は思っています。というより私は能力が低く失敗から学ばないと身につかないのでそう思っていないとやっていられません。失敗を恐れる人たちは外から見ているだけで能力が身につき一発成功できる自信があって羨ましいですが、無い物ねだりしても仕方ないのでこちらは割り切ることにしています。
致命的な失敗を避けるのは実は難しくありません。なぜならその類のほとんどは先人たちがやらかして見せてくれているからです。もちろん世の中の進歩によって新種の失敗は出てきますが自分が最初の一人になることは滅多にありません。なので「自分はあいつらとは違ってああはならない」という慢心にだけ注意すれば問題ありません。
 
前述のように作中では「ときめき」という言葉が多く出てきます。
「ときめき」と言えば素敵な響きですがつまるところ直感のことです。直感がバカにならないことは私も賛成なのですが、それは熟慮の末にどうしても優劣つけがたい選択肢が残ってしまったときに使うものだと思っています。作中のように最初から直感を使って行動を決めるのは思考の放棄でしかなく、野生動物と同等なのでやらない方が良いと私は考えています。
作中ではときめきと躁鬱のハイなときがごっちゃになって周囲が混同しているシーンがあるのですが、この二つの違いは一貫性があるかで説明がつきます。直感の場合はその人に根付いた無意識な判断なので何かしらの傾向があります。よって一貫性のない支離滅裂なものを「ときめき」と言っていたらそれは躁鬱と誤認していると思って間違いありません。
 
良い作品ではあるのですが、読むのにエネルギーが必要な作品でした。