花の本棚

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南杏子 いのちの十字路

南杏子 「いのちの十字路」
南さんの新しめの作品があったので読んでみました。

 



 
主人公はまほろば診療所に戻ってきた若い男性医師。診療所の力になると意気込んでいたが、世間ではコロナウィルスが流行り出していたため訪問看護にとっては厳しい状況下であった。しかし家庭で看護が必要な人々がいることには変わりなく、それぞれの家庭を訪問して事情を聞いて患者家族にとっての最善を探す日々であった。主人公が他の医療分野を蹴ってまで訪問介護の道を選んだのには、過去にヤングケアラーとして祖母の介護をしており途中で投げ出してしまったことを後悔しているからであった、というお話。
 
介護をテーマにした医療系の作品で、「いのちの停車場」の続編という位置づけとなります。
主人公が受け持った家庭ごとに章となった短編集で各章にて介護に関する問題を取り挙げる形式となっています。老老介護、ヤングケアラー、引きこもり、8050問題など介護に関する社会問題について医療現場の目線で実情を描いています。医療側の目線ということもあってその描写はリアルで現在の非常に厳しい状況が描かれていました。支え合うと言えば聞こえはいいですが、嫌なことや厄介事に関しては支え合いを建前にして押し付け合いや無理強いがどうしても発生する、というのが現実なのだそうです。私自身にもいつかやってくる問題なので本書で読んで知ったことはその時まで忘れないようにしたいなと思いました。
介護に関して著者がもっとも主張したかったのは介護する側の人々のケアをもっと考えて欲しい、という点なのだろうと読み取れました。確かに被介護者に関する施策は色々聞いたことがありますが、介護する人が休めるような取り組みなどはまだまだケアされていなさそうです。
ちなみに物語の舞台はコロナ禍となっていますが内容から見るとそんなに重要な要素としては扱われていませんでした。
 
作中で出てくる老々介護のケースのひとつに妻が認知症と疑われる行為をしているのに診断に連れて行かないという家庭が出てきました。夫は診断しない理由として病気なのを診断されて今絶望したくないから、と話していました。説明によるこれを理由に症状が出ていても頑なに病院に行かない人たちは結構いるそうです。
要するに見えている問題を先送りにして今を大事にするだけなので、これについて私は共感も理解もできませんでした。病人側の言い分としては今の状況ですら精一杯なのにさらに診断による絶望が追加されたら耐えられないそうなのですが、私の経験上これは嘘で、作中でもこの言い分とは違う理由が隠れているという展開でした。当人たちが一番恐れているのは、診断を知ってしまうと病気に対して何もしないことに言い訳がつかなくなることです。ダイバーシティの浸透によって体調不良に対して寛大になっています。しかし体調不良になった事実と、体調不良になった要因を放置することは別の話です。診断を受けていたり、対処法を医療機関から提供されていたりしているのに改善せずに同じ体調不良を繰り返すのは本人の怠慢、つまり人間性の問題になります。こうなるといかにダイバーシティがあれど社会的な立場に陰りが見え始めるでしょう。
ダイバーシティの恩恵を受けるためには改善のためのアクションをしつつも持病が治らないようにする、というせめぎ合いの中で活動しなければならないので持病持ちの方々はまるで生産性のない部分に活力のほとんどを使っていて大変なのかもしれない、という考えになりました。それなら迅速に病気直して健康体に復帰した方が私としては手っ取り早いなと思います。故意に病気を保持して優遇してもらうなんて下賤な生き方するくらいなら死んだ方がマシです。
 
現代でホットな社会問題について上手く描かれているため、気になる方はチェックしてみてください。