花の本棚

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米澤穂信 真実の10メートル手前

米澤穂信 「真実の10メートル手前」

今回は貰い物の作品。著者、作品名ともに有名なものです。

 

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太刀洗シリーズのうちの一つです。フリー記者である彼女が取材を通して様々な事件の真相と関わった人たちの心情を描いている短編集となります。

短編集ですので各章のミステリーはそこまで深い事件ではありませんが、登場人物の心理描写は非常に面白かったです。またそれらを目の当たりにしても   一人の記者としての立場を毅然と通す姿はカッコイイと思いました。

シリーズものの一つではありますが他の作品を読んでいなくても概ね問題ありません。ただ1章だけ「さよなら妖精」と薄っすら関係のある話がありますので、読んでいた人には分かる部分が少しだけあります。

 

作中の章の一つにあらゆる物事に難癖をつけないと気が済まない老人が登場します。それを知った中学生から彼は批判を言うけど意見を出せと言われたら何も言えないだろうと察するシーンがありました。批判と意見は別物である、という考えは私も同意します。

ディベートや議論に詳しいわけではないので経験則でお話しますが、意見とはテーマについて事実をもとに分析して有効だと自分が判断した考えのこと。対して批判は意見の悪い部分を指摘することを指す、と私は思っています。これをもとに考えると、両者の違いで一番決定的な点は意見が一つもない状態から批判は出せないことです。つまり議論の場で先導するための一番手を担うには意見を投じる能力が必須ということです。誰でも経験があると思いますが、自由に案を出していい場であっても一番に意見を言うのはかなりストレスのかかる行動です。私の職種は特にプライドの高い人が集まりやすいと言われているので、批判に晒されるのを恐れて意見は出さず批判側に徹する人も多い。

私としては一番手で意見を出すと、内容が悪ければ後続の方が批判や別の意見を出しやすくなりますし、良ければそのままブラッシュアップすればいいので、どちらにしても損がない。であれば最初に意見を出してしまえという姿勢になりました。私的な感情で言うと意見も出さずに批判を出すのは姑息な感じがして嫌いなのでやりたくありません。

 

これとは別にもう一つ考えたことがあって、「反対するなら代案を出せ」という主張がありますね。案を出さない人への憤りの気持ちは分かるのですが、この主張は止めた方が良いと思っています。というのもこれほど強烈な主張がないと言えない案は聞く価値のある案ではないからです。

まず上にも書きましたが反対(批判)する能力と意見を言う能力は別物なので、批判だけしかしない人が意見を出すのも上手いケースは稀です。少なくとも私が社会人をしていてそういった人から良い意見が出てきたケースを見たことがありません。よって上記の主張の通りにされても使えない意見を聞かされて時間が過ぎるだけになるので、これは批判だけする人への日頃の鬱憤を晴らす以外の効果はないとみていいでしょう。それだったら意見もらうよりも労働力や資金を提供してもらい方がはるかに効率的というものです。

私の意見が正しかった、聞かなかったのが悪いと結果が出てから言い出す方もときどき見ますけど、そもそもそこまで価値のある意見なのに適切なタイミングかつ聞かれるまで出さないのは受け身の姿勢なので社会人として失格です。きつい言い方ですが人に伝わる形になっていないものはどれだけ素晴らしくても無価値です。

 

軽く読める上に内容も良いので、サクッと読みたいときにおススメです。