花の本棚

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東野圭吾 虚ろな十字架

東野圭吾 「虚ろな十字架」

2年半前くらいに読んだ作品。東野圭吾好きなのでなるべく読むようにしてます。

今月文庫化されたので、当時の感想を書かせてもらいます。

 



主人公は動物葬儀屋の主人。かつて娘を金目当ての強盗に殺害され、妻と二人で死刑を勝ち取ることに成功した。だがその後夫婦は幸せだったころを思い出して一緒にいるのが辛くなって離婚してしまう。それから数年経ち、別れた妻が金目当ての男に殺害されたと知らされる。別れた後妻が何をしていたかが気になり、その行動と事件の真相を探るお話。

犯人が死刑になれば遺族は幸せになれるのか?というテーマです。
今の裁判制度がどうなっていて、問題点は何かということに触れながら話が進みます。主に被害者遺族側の視点で書かれているため、それはもう重い言葉がいっぱいです

まずテーマのことについて。作中の言葉でも「死刑になるのは遺族からすればただの通過点なのでなって当然なこと」とありました。当たり前を得るために死刑求刑をしているので、死刑になっても幸せになれないのは当然のこと。幸せに向かって再起するにも気力がないので手近な死刑求刑くらいしかすることがないのだと思います。
幸せになるには長い年月の積み重ねを必要としますが、人を不幸にするには凶行におよべばものの数分~数時間で不幸のどん底まで叩き落せる、というバランスだから私たちの幸せってこんな呆気ないのかと絶望するのも無理はないでしょう。自分が伸びるより他人の足引っ張る方が簡単なのは昔から同じです。

裁判について色々な問題点が語られててためになったのですが、全部書くと長いので2点だけ紹介します。
今の裁判では加害者と弁護士ばかりにフォーカスがあたって被害者や遺族が介入する余地がないそうです。確かに被害者がとても尊いので刑が重く~って流れは無いですね。あっても加害者の残虐性という形で出てきます。死人に口なしだから被害者にフォーカス出来ないのだと思いますが、軽視されすぎなのは事実なのかもしれません。
ふと思ったのは、被害者がいかに素晴らしい人間だったかで刑の重さ変わるとなったらどうなるか。
まず裁判が混沌としそうですね。被害者側はいかに素晴らしい人物か語り、加害者側はいかに被害者が殺されて当然な人物か語り出し、ねつ造のし合いになる図が目に見えます。死人に口なしなので被害者側が圧倒的に不利ですね。

また未来ある子供や功績や仁徳のある人物の事件へはうまくいくかもしれませんが、そうでない人物への迫害が起きそう。「お前は裁判かけても生きてる価値なしって言われるんだからさっさと死ねよ」と攻撃される人がたくさん生まれるでしょう。

もう一点は加害者が更生しないことを前提に裁判を進めた方が良いということ。
これには私は賛成です。子供ならともかく刑務所入って心を入れ替える大人の方が少ない。大人の心は更生するよりも死刑にして善人に生まれ変わる可能性に賭けた方が成功確立高いと思ってます。

終始命を扱う舞台の話なのでとても重いですが、内容は素晴らしいです。何も起きない今の生活を改めて幸せに感じました。
東野圭吾好きな人は読んで損はないと思います。