花の本棚

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下村敦史 悲願花

下村敦史 「悲願花」
下村さんの作品で題材が面白そうなものを見つけたので読んでみました。

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主人公の女性の両親は一家心中を図り、彼女だけが生き残った。月日が経ち両親の墓参りをしたときに一家心中で子供を死なせて自分は生き残ったシングルマザーと出会う。彼女が自分の母親と重なったため、相談を受ける振りをしてで自身の中にくすぶる復讐心を彼女にぶつけ始める。一家心中の加害者と被害者という立場の違う二人が苦悩し、前に進もうとするお話。
 
被害者と加害者をテーマにしたミステリー作品です。
メインの人物二人が一家心中の生き残りであるため悲壮感のある雰囲気で描かれています。感情をぶつける先がいない被害者と、責められるのが当然とされる加害者が対比になっており、それぞれが抱える葛藤や苦しみがリアルに描かれています。こういった背景を背負う方々が幸せに生きていくためにはどうすればいいか悩む姿が上手く描かれています。
またミステリーとしても質の高い作品です。主人公の一家心中の真相が終盤に明らかになると一気に展開が変わっていくため読んでいて面白いです。本作のミステリー部分はそこまで深くなさそうと思って読み進めていたためとても驚かされました。
 
作中にて心中というと言葉の雰囲気から悲劇感があるけど子供を殺害して犯人が自殺したのと違いがないのでは、という言及がありました。差別に当たるなど様々な理由で表現方法を変えるのは近年よく見かけることで、本質は変わってないのに表現だけ変えて意味あるのか?という疑問もあります。
表現方法で本質に何か付加するのは娯楽としては面白いと思いますが真剣に見るべき物事でやるべきではないと思っています。いじめを暴行罪と言わないのと同じように向き合うのをさけるために表現を変えるのは気に入りません。
私は人と話しをしているときに相手がどういった表現を使うか気にしています。その人がどう表現するかでその物事をどう捉えているかが見えるからです。例えばこちらは真剣に取り組みたいのに茶化して笑いにつなげようとする人がいる、という場面では両者の価値観に明確な差があることが分かります。わざわざ本音を聞くのは重労働なのでこういった日常のシーンから価値観のずれを感知して人間関係を円滑にするのは大事なことだと思っています。
 
下村さんの作品はどれも取り上げる題材が素晴らしく、内容も質が高いので気になる方は読んでみてください。