花の本棚

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斜線堂有紀 本の背骨が最後に残る

斜線堂有紀 「本の背骨が最後に残る」
斜線堂さんの新刊が出ていたので買ってみました。気になる新刊がまた何冊か出てきてしまったので新刊の頻度がまた上がりそうです。
 


ある国には世間でいう紙などの「本」が存在せず、人に物語を語り聞かせる人間が「本」と呼ばれ娯楽として人気であった。しかし、同じ物語を語る「本」が現れたとき、どちらの「本」が誤植かを争う「版重ね」が行われ、誤植と判断された「本」はその場で「焚書」となり骨になるまで焼却されてしまう。そんな中で一人に一物語が原則であるところ十もの物語を語る「本」がおり、版重ねにて次々と「本」を焼いていった者がいた、というお話。
 
SF系の短編集となります。上に書いたあらすじは最初と最後の章の世界観であり、他の章はまったく違うお話になっています。
上記の他にも人の痛みを肩代わりできる技術、未来が見える人間、などどの章にも独自のSF設定があり、それらのSF設定を使ったお話の構成が非常に面白い。そういったものがもしあったら人々はどういう生活になるか、というのを想像しながら読むと楽しめるかと思います。
また各章にミステリー要素も少しばかり入っています。推理したりする必要はありませんが、その少しによって話が面白くなっているあたりは斜線堂さんらしい部分なのでここも見所の一つになるでしょう。
 
作中にて非業な死を遂げた故人を歴史改変しない範囲で救うゲームが流行っている、という設定の章がありました。それが流行っている理由の説明として、ある程度人が普通に暮らせる世の中になると今までの救済の需要が減り、より大きな救済でないと救う側の人々が満足しなくなる、というものでした。
この考え方は今の社会を正しく表しているでしょう。昔であれば食べ物を与えたり、募金したりするだけで救える人々がそれなりにいましたが、今の社会ではそれだけで救われる人はほとんどいません。つまりは救われる側の要求が高くなっていることで労力や資金が高いことから救う側の負担が大きくなって、救われる側の方が偉そうに見えてくるという状況になっていきます。この構図は生活保護や在日外国人の問題など近年の社会問題でも似たものがたくさん見られます。本書によると「人を救う」という行為そのものは当人の幸福度を高めることが分かっており、それゆえに古くから続いているそうです。
私は非常に利己的な人間で自分に利がなければ迷わず見捨ててしまうので、「人を救う」という行為が何のためにあるのか理解できていませんでした。本作を読んで少しだけ理解が進んだような気がしました。
 
変わり種な内容になりますが面白い見所がある作品ですので、気になる方はチェックしてみてください。