花の本棚

読んだ本の感想や考えたことを書いています

東野圭吾 人魚の眠る家

東野圭吾人魚の眠る家

これの単行本が出ているのを先日見かけたので、新刊読んだときに書いた書評を出してみます。



主人公は脳科学の研究者である夫とその妻。ある日娘がプールで溺れて意識不明となり、今後意識が戻る見込みはないと宣告される。臓器提供を薦められるが最後の面会で手がわずかに反応して動いたことで娘は生きていると妻は確信しこれを断り、妻が娘を自宅で介護することとなる。一方夫は脳を経由せず電気で筋肉を動かす部下の研究に目をつけ、それを使って娘の体を動かすことを妻に提案する。しかし死んでいる人間が機械で動くのを見た周囲の人たちにはそれに熱中する妻を不気味なものと見て次第に遠のいていく、というお話。

テーマは「どこからが脳死でどこからが死なのか」です。
現在でも脳については不明なことが多いことは知っていましたが、これほど不確かであいまいなものだとは思いませんでした。脳死の基準も決まってはいるが基準がそもそも合理的なのかすら怪しいのだそうです。

本書内で「子供のために狂えるのは母親だけ」という言葉がありましたが、そんなことはない。今回のストーリーでは父親が脳に詳しいから割り切れただけで、父親も子どものために狂うことはある。同著者の「さまよう刃」では父親が子供のために狂ってましたよね。
父親は理論的に狂い、母親は感情論で狂う傾向にあるというのが私の意見です。どちらが厄介か?と聞かれるとこれまた際どいところです。

頭のいい人間が狂うと厄介だと読んでて思いました。自身が狂っているのを自覚しているせいか頭の中は冷静で、狂気でありつつも話は筋道が通っているからです。これを説得するのは困難を極める。

これは子供を育てている人に読んでもらいたい本です。子供に何かあったときに親はどうすればよいのか、が問われているように思えました。
ほかの作家さんを読んでいると、東野圭吾の本の読みやすさに気付かされます。