花の本棚

読んだ本の感想や考えたことを書いています

逸木裕 四重奏

逸木裕 「四重奏」
前々から気になっていた逸木さんの去年発売された作品を買ってみました。
 


チェロ奏者であった女性が火災に巻き込まれて死亡した。主人公のチェロ奏者は彼女の演奏を聞いてスランプから脱することが出来たため、大きなショックを受ける。しかし彼女が火災現場で取った行動が不可解であり、その行動を取った原因は彼女が最後に所属していた音楽団体にあるのではと考え始める。その団体の長は「クラシック音楽は観客が勝手に解釈した錯覚で出来ている」という異端のポリシーを持っているが、努力を重ねても上に上がれない一部の奏者にとっては救いとなる教えとして知られていた。彼女が団体に入った理由を探るために、オーディションに参加することで団員たちに近づこうとする、というお話。
 
解釈と錯覚をテーマとしたミステリー作品となります。
本作の見所は心理描写の上手さとなります。音楽家たちがクラシック音楽という壮大なものをどう解釈するか、それは正しい音楽との向き合い方なのかを悩む姿が非常に上手く描かれています。また音楽のみならず人の行動や言動もどこまでが本心か分からないので、それらへの解釈はすべて錯覚と言えるのではないか?という音楽団長の考えに主人公が引き込まれて考え方が変わっていく描写は読んでいて非常に面白い。
また本作の中ではクラシック音楽に関する説明も多く書かれています。オーケストラの演奏はどのように構築されているのか、音楽家個人としてはその中で何を考え、どうしているのかという部分はクラシック音楽に詳しくない私にはためになる内容でした。作中で描かれていたことがどれくらい正確かは分かりませんでしたが、演奏に対する音楽家の悩みの深さだけは伝わってきました。
あらすじに書いたミステリーの部分についてはそれほど深くないので真相を自力で考える必要はありません。物語を面白くするために添えてある程度の認識でOKです。
 
作中で出てきた「人の行動や言動への解釈はすべて錯覚だ」という主張をどう思うか、を考えてみました。私としてはこの主張は正しく、錯覚だとしても何ら問題ないと考えています。
なぜかというと私の性格的にどちらだとしても自身の行動は変わらないからです。上にあげた「錯覚なのか、本心なのか」という問答は「本心を知りたい」や「騙されたくない」といった欲望があって初めて生じるものです。私は人の行動や言動を自分に都合よく解釈する性格をしているため、相手の本心がどうだろうと自身の行動には一切影響がありません。解釈した結果の行動をしてみて、解釈を改めようと思える何かを感じ取ったら都度直せば十分間に合うというのが私の考えです。自分の本心と違う解釈をされるような行動をしないと私は徹底しているので、わざわざ齟齬が生じさせて問題を無駄に増やす人に合わせる必要はないでしょう。
 
この作品もそうですが逸木さんの作品は題材が面白いものが多いので、気になる方はチェックしてみてください。