花の本棚

読んだ本の感想や考えたことを書いています

重松清 十字架

重松清 「十字架」




主人公は中学生。ある日いじめを苦にして一人の生徒が自殺してしまう。その生徒の遺書には主人公の名前が親友として書かれていた。ところが主人公は親友というほどの仲ではなく、いじめにあっている生徒を黙って見過ごしているだけであった。
親友として書かれたことで遺族からなぜ助けなかったのか?などの罵声を受ける。
自殺した生徒は何を思い遺書に名前を書いたのか?親友なのに見捨てた自分をどうしたら遺族は許してくれるのか、を描いていくお話。

遺書になぜ名前があるのか?というミステリーかと思いきやドキュメンタリーっぽい内容でした。ですが最近いじめの問題が社会的にも大きいのでためになる内容でした。

この本の中で言われていることに、「人を責める言葉にはナイフと十字架がある」と言われています。言葉のナイフは刺された瞬間は激痛ですが、傷が塞がれば痛みは消えます。なので言われてカッとなる、や衝動的な自殺を呼び起こすのは言葉のナイフに該当します。
一方言葉の十字架は相手に一生背負わせるものです。月日が経つと重くなったり軽くなったりしますが、一生背負って生きていかなくてはならない罪悪感になります。人間にとって一番苦しい感情は罪悪感と言われているので、この十字架の言葉は重い。ましてや本書のように罪悪感の対象が死者だった場合許しを請うことが出来ないのでそれこそ一生罪悪感を背負うことになります。

本書内ではいじめは悪いこと、のように言われていますが私は必ずしもそうとは思いません。
まずはじめに「いじめをする人間に生きてる価値はない」というのをよく聞きますが、それは絶対ではありません。学生の領域で考えると「取り柄が無いから他人を攻撃してストレスを解消する」というのは正しいのですが、社会人の領域だと他人を攻撃してストレスを解消するのはむしろ仕事の出来る価値ある人間がしてくることが多い行動です。
実際、パワハラをしてくる人はプレイヤーとしては優秀なケースが多い。なので残念ですが生きてる価値で言えば攻撃される側の方が小さいと言えます。
ただし、生きてる価値とはまた別に私から言いたいのは「攻撃して自殺に追い込むからには自分が殺される覚悟を持っているか?」ということです。追い詰めれば自殺してしまう、というのはいい歳してれば知っているはずなので、知った上で攻撃するということは殺す気も殺される覚悟もあるとみなせます。
つまり攻撃してくる人は「生きてる価値が無い」ではなく「殺しても良い人間」ということです。いつか反撃にあって死ぬことになっても自業自得ということです。

いじめ問題がメインなので少々ダークですが、いじめで息子を亡くした遺族の想いなど深い想いを知ることが出来ます。
これから子育てする方は読んだ方が良いと思います。お子さんをいじめをするような人間にしない、あるいはいじめにあって失わないためにも。