花の本棚

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織守きょうや 記憶屋

織守きょうや 「記憶屋」
織守さんの作品ではこれが面白いと聞いて読んでみました。

 

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主人公の大学生は「記憶屋」という都市伝説の怪人を調べていた。その怪人は忘れたい記憶を消してくれるというもので特に恐怖もないただの都市伝説とされているが、主人公はトラウマの出来事とともに自分との記憶も消されてしまった人を何人か知っていた。ある時、記憶屋と接触したことのある人物と会って話を聞いたことで記憶屋が実在することを確信する。
記憶屋は何者なのか?記憶を消すことで本当に幸せになれるのか?を探るお話。
 
記憶をテーマにした作品です。作品そのものはホラー小説と分類されているのですがホラーの描写はほぼなく、感動系寄りの作品でした。
物語では何人かの視点がありますが、いずれも忘れられる側の視点で描かれています。出来事本体だけでなくそれに関連するものもすべて忘れてしまうという設定のため、完全にいなかったことにされる忘れられる側の感情が生々しく描かれている点は読んでいて面白い部分でした。
誰しも嫌な記憶はあるものですが、記憶を消すしか乗り越える方法は本当にないのか?という問いかけを作中では常にしていました。本作中では記憶を消すのを望んでいるのは10代、20代前半の人物のみでしたので感情が揺れやすく、大人ほど世界が広くない年代にとっては記憶を消せるのは魅力的に映る、ということを描いていたようにも読み取れました。
 
記憶を忘れることで解決するのは正しいのか?という問いかけが多くあったので考えてみました。
まず思い至ったのは私が記憶に残っているツライ出来事は今の人間性形成の糧になっているため、どれも忘れ去りたいほどではないということ。なのでトラウマなど消してしまいたいくらいの出来事を持っている方の心情は経験がないので想像するしかないのですが、その出来事に対して何もアクション出来なかった(しなかった)自身への後悔が大きいのかなと思いました。私の記憶で最もトラウマになりえそうなのは「新卒時にOJTに自殺寸前まで追い込まれた件」でしょうけど、自分なりにこの件に対してアクションを起こして決着は付けました。でなければこそこうして書き起こすことも出来ないでしょう。今思い返すとそのアクションは違法行為なので正しいわけがないのですが、何もせず泣き寝入りしていたらおそらくトラウマ化していたと思うので実行したことに後悔はないです。なのでこれがトラウマになるかどうかの要因になる気がします。アクションを起こせるかどうかはその人の持つ実力よりも人間性に依存するはずなので、トラウマを抱えやすいかは残念ながら育ちの問題となってしまうのでトラウマの解消を外部からするのは困難だろうと考えています。
 
記憶に付いてもう一つ考えたことがあります。「記憶を消してもう一度楽しみたい○○」という言い回しについてです。
過去の感動をもう一度味わいたいという願望から出てくる表現ですが、これにはあまり共感できません。理由としては感動するかはその時の心情とマッチするかが重要だからです。仮に10年前に触れて感動した作品があったとしても、心情の方は10年分積み重なっているので同じ感動にならないと思っています。なので私は本に限らず一度触れた作品を再度手に取ることはほとんどありません。この先でもし私が再読の書評を出し始めたら、何かあって過去の良さに飢え始めたと思ってください。
 
感動系の物語作品なので、そういったジャンルが好きな方にはおススメです。
本作は続編があるようなので機会を見て読んでみようかと思います。