花の本棚

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遠田潤子 冬雷

遠田潤子 「冬雷」
面白いからと譲ってもらった作品を読んでみました。
 

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主人公は鷹匠をしている男性。行方不明になっていた義弟の遺体が発見されたためにかつて孤児だった自分を引き取っていた家を訪れる。彼は伝統ある家の跡取りになるために夫婦に引き取られたが義弟が生まれたことで疎まれ始め、行方不明になった義弟を殺した犯人として追い出された過去があった。真犯人を探そうとするが、古くからの家と風習を守りたいがために町の人々は誰も協力しようとしない。かつて親しかった人々にも疎まれながら真相を探るというお話。
 
昔からの風習を重んじる町を舞台にしたミステリー小説です。
脅迫に近い形で風習を守ろうとする片田舎の不気味さが上手く描かれています。それもあってか登場人物は陰湿で身勝手な人々ばかりになっています。各地の伝統的な行事も見に行くだけなら素敵ですが、こういったものが裏に隠れているのかもしれないと想像してしまいます。人物の描写は不快な部分が多いですが、主人公が誠実な性格をしているために損をしたり救われたりする部分があるためそこまで嫌な気持ちにはならずに読み進められます。
ミステリーとしてみても良く出来ています。終盤で明かされる真相はちりばめられていたものが上手くつながるので驚きました。ここでも風習を守るためという設定が上手く使われているので面白かったです。
 
作中にて「誠実さは負け戦にしかならない」という言葉が出てきます。
誠実でいても不利な状況が続くだけ、を意味した言い方なのですが正しいと思います。誠実さは私も大事にしてずっと生きていますが、それで何か得をしたり有利な状態を作れたりなど実益のプラスが出たことは今までありません。プラスがないためいつでもイーブンか損のどちらかです。
ただこれは誠実さだけで見た時の話であって、他の性格と合わせれば一つ上の性格に押し上げることが出来ます。正義感と合わせれば清廉に、地道と合わせれば不屈にと希少な性格を作ることが出来ます。希少さに着目する人はいつの時代でも一定数いるので私のような実能力が低い人は希少さを持つことで世を渡り歩くのは良い手段だと思っています。
 
舞台が伝統を重んじる街なため未熟な主人公に対して「自覚が足りない」という言葉が多く出てきます。
この「自覚が足りない」という責め方は今の時代では無意味だと考えています。私も社会人になってからこの叱責を何度か受けたことがありますが、突き詰めてみると「君は私がこだわっている個所に注力してない」と言っているだけでした。つまり善し悪しではなく自分と同じじゃないから気に入らないとアピールする手段でしかない。多様性の時代でこの考え方は邪魔でしかなく、注視する場所の違う人たちが集まってこそアイディアなどが出てくると思っています。
作中のような古くからの風習で人々の求めるものが未来永劫変わらないのであれば固定した自覚はあって然るべきですが、普通の社会人であればそんなものは不要でしょう。
 
初めて読む作家さんだったので他の作品も読んでみようと思います。