花の本棚

読んだ本の感想や考えたことを書いています

真梨幸子 私が失敗した理由は

真梨幸子 「私が失敗した理由は」
知り合いから面白いと教えてもらった作品。
 

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主人公の女性は自分の人生がかつての輝きを無くしていることに不満を持っていた。パート先の同僚から殺人事件の容疑で逮捕された人の話を聞き、他人の失敗に対して「ときめき」を感じるようになっていた。居ても立ってもいられずかつても恋人を頼り、人々の失敗を集めることで成功への道を示す本を出そうと取材を始める、というお話。
 
失敗による人生の転落をテーマにした作品です。
それぞれの人物の失敗談が短編集のように書かれていて、最終的にはそれらのながりを探るという流れになっています。
ミステリーとしても良く出来ていますが、見所は人物の心理描写がリアルなところです。そっちに踏み込んだらダメだと経験則で分かっていても見栄や欲望に負けて失敗してしまう、という描写は実在のモデルがいるのかな?と思うほどでした。
ただ、主人公の女性が「ときめき」を原動力に周囲を振り回す姿は読んでいてゲンナリしました、この部分は好みが分かれると思います。手が止まってしまうほどではないですが私は読むのに結構なエネルギーが必要でした。以前「ときめき」を基準に物を捨てる断捨離が流行ったときを思い出しました。断捨離のような一人でやることなら構いませんが、人を巻き込んでくるときに「ときめき」が原動力だとこうも迷惑なのだなと考えてしまいました。
 
作中にて「幸せになるためには地獄への道を知ること」という意味の言葉が出てきます。「幸せになるためには失敗しないことが肝心」という意味で使われていました。
失敗は致命的なものでなければいくらでもしていいと私は思っています。というより私は能力が低く失敗から学ばないと身につかないのでそう思っていないとやっていられません。失敗を恐れる人たちは外から見ているだけで能力が身につき一発成功できる自信があって羨ましいですが、無い物ねだりしても仕方ないのでこちらは割り切ることにしています。
致命的な失敗を避けるのは実は難しくありません。なぜならその類のほとんどは先人たちがやらかして見せてくれているからです。もちろん世の中の進歩によって新種の失敗は出てきますが自分が最初の一人になることは滅多にありません。なので「自分はあいつらとは違ってああはならない」という慢心にだけ注意すれば問題ありません。
 
前述のように作中では「ときめき」という言葉が多く出てきます。
「ときめき」と言えば素敵な響きですがつまるところ直感のことです。直感がバカにならないことは私も賛成なのですが、それは熟慮の末にどうしても優劣つけがたい選択肢が残ってしまったときに使うものだと思っています。作中のように最初から直感を使って行動を決めるのは思考の放棄でしかなく、野生動物と同等なのでやらない方が良いと私は考えています。
作中ではときめきと躁鬱のハイなときがごっちゃになって周囲が混同しているシーンがあるのですが、この二つの違いは一貫性があるかで説明がつきます。直感の場合はその人に根付いた無意識な判断なので何かしらの傾向があります。よって一貫性のない支離滅裂なものを「ときめき」と言っていたらそれは躁鬱と誤認していると思って間違いありません。
 
良い作品ではあるのですが、読むのにエネルギーが必要な作品でした。

櫛木理宇 虎を追う

櫛木理宇 「虎を追う」
あらすじが気になったので読んでみました。
 

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死刑判決の出ている犯人二人のうちの一人が獄中で病死した。かつてその事件の捜査に携わっていた元捜査官は免罪なのではと疑問を持ち続けており、彼の死を機に調査しなおすことを決める。一度風化した事件の再調査するためには世論を動かす必要があると教わったため、大学生の孫とその友人に協力を仰ぐ。その方法はSNSと動画投稿によって再調査の様子をリアルタイムで世間に流すというものであった。風化した事件を再び呼び起こし真相を探るというお話。
 
こちらはミステリー小説となります。主役グループに現役警官がいないので刑事物ではありませんでした。
免罪を晴らす系の作品というと大抵は刑事が同僚や上官に邪魔されながら奮闘する、という流れですがこちらは設定上そういった描写がほとんどない点が斬新です。SNSを使って注目度を高めて協力者を増やしていくなど現代ツールが多く登場するのでこんな使い方出来るのだなと感心する場面も多くありました。
孫の友人が引きこもりという設定なのですが、再調査を通して変わっていくところも本作の見所です。何とかして今の自分を変えようとする姿はとても素敵に映りました。
 
作中の動画を作る場面で孫たちの説明で、ウケる動画のコンテンツは笑い、エロ、暴力が三強とのこと。
動画の上げるために不適切な行動をする人が時々報道されますが、上記コンテンツが強いのだとしたら納得できます。というのも手っ取り早くやろうとしたら暴力を選ぶしかないからです。
まず「笑い」ですがこれは長年磨いたセンスでしか出せないコンテンツなので鍛錬を積む必要があります。次にエロですが厳密には「男性向けのエロ」を指しているので男性はそもそも手が出ません。
一方暴力なら勢いで実行するだけなので、周囲に煽ってもらったり酒の力を使えば誰でも実行は出来ます(その後が大変ですが)。ということから何でもいいから注目を集めたくなったら暴力が最速となります。昔から自己顕示欲が強い人が起こした事件は多くあるので、その縮小版が動画で多く出てくるようになったのかもしれませんね。
 
作中にて年下としか人付き合い出来ない人は問題がある、という話が出てきました。このタイプの人はグループの中に自分より上がいることに耐えられず、支配欲も強く、幼児を狙う犯罪者によくある心理だと解説されていました。知り合いにやたらと後輩とだけ関係を築きたがる人がいましたが、こんなことを考えていたのかなと思ってしまいました。
私はコミュニティの中で上か下かは考えたことがありませんでした。人としては皆対等であるべきだと常に考えています。自分とは違う人生を歩んだ人なのだから何かしら自分にないものを持っているはずで、それは尊敬すべきところだと考えています。
仮に実力で上下を決めるにしても何を基準にするかで序列は変わってしまうので意味はない、というのが私の意見です。
 
櫛木さんの作品はいくつか読んだことがありますが、こちらも含め良い作品が多いのでおススメです。

遠田潤子 雪の鉄樹

遠田潤子 「雪の鉄樹」
以前遠田さんの作品がよかったので別の作品を読んでみました。
 

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主人公は庭師の男性。彼は過去に起きた事件の償いとして一人の少年の世話役を赤子のときからしていた。しかし少年の祖母からは奴隷のような扱いをされていて周囲からも憐れみの目で見られていた。あるとき少年に秘密にしていた事件のことを知られてしまい、さらに祖母も亡くなったことで少年は荒み始めてしまった。男性は少年の求めに応じて秘密にしていた過去の事件のことを話し始める、というお話。
 
贖罪をテーマにした作品です。
過去の償いのために何かせずにはいられないけど報われることはない、という状況の主人公の心情を上手く描いています。愚直な性格という設定だとしてもあまりに度が過ぎて不憫さを感じずにはいられませんでした。
作中には主人公の他にも一貫して冷徹な祖母など偏屈でキャラの濃い人物が多く登場します。前に読んだ「冬雷」もそうでしたが、遠田さんはこの類の人物の描写が非常に上手い。それぞれの偏った価値観で言葉を発するため嫌な気分になることもありますが、時折自分の価値観に深く刺さる言葉も出てくるので面白いです。
 
作中で老婆が主人公を徹底的に拒否して「あなたを人間として扱わない」と告げ、ここまで冷徹に人を拒絶できるのかと主人公が驚くシーンがあります。
この老婆のしていることが人を嫌悪したときの私と酷似しており共感できました。そして周囲から何を言われても一貫して冷徹さを貫く姿勢は私には素敵に映りました。これこそが謝罪をする側とされる側の正しい姿だと私は考えています。謝罪して許されるかは相手側の基準がすべてです。よって相手の要求がどれだけ法外でも理不尽であってもその通りにするしかないのです。謝罪する側なのに「もう勘弁してくれ」とか「こんなに謝罪しているのに許さないのか」などと言い出す人がいますが、相手を悪者のように仕立てて謝罪を値切るなど言語道断です。そうするくらいなら最初から謝罪などせず自分は悪くないと堂々と生きればいい。
私は嫌悪する人間が謝罪してきたとき「死んだら許す」と必ず言っています。これなら何をすべきか明確ですし、嫌なら私から去ればよくどっちを選んでいただいても私にはプラスなので問題ないです。
 
遠田さんの作品はこれで二つ目となり作風が気に入ったのでいろいろと読んでみようと思います。